2025-04-01

VX-6

   無線局の免許を流して(失効)しまったので電波は出せず。 ずっと昔は「局免」は一度認可されたら更新はなしだったという記憶。 これが5年毎更新になったのは、1987年公開の映画「私をスキーに連れって」の中で無線機が使われるシーンがたくさんあり、どうもこれに触発されて開局数が爆増してコール・サイン(無線局毎の名前)不足などの不具合が出てきた為という記憶。 ついでに無免許で運用する人も爆増した記憶があり、その頃はアマチュア無線の免許を持つ正規の人々が通信できなくなるほどの混雑とルール無視が酷かった。
   無線の面白さの一つは遠方の人達と通信できること、これは昨今のインターネット社会では「遠いところと通信できるのが当たり前」となりそこにコストと労力をかけて挑戦する気概はおそらく激減。 他にも50km圏内くらであれば家に置いた無線機やクルマに取り付けた無線機で結構クリアに通信でき、よく会社帰りなどに通信(雑談)しているのに出くわしたが、これは携帯電話の普及とともに激減。 夜には帰宅後の愉しみで通信する人たちも多かったが同様に携帯電話の普及とともに激減。 携帯電話という至れり尽くせりの通信環境と通信機材が安価に手に入る世の中になり、対してわざわざ大きくて不安定さのある無線通信のどことない無力感になんとなく萎えてしまう、そういう時流だったように思う。 そうした時代の影響は多分にあり、アマチュア無線が流行った30-60年ほど前はラジオの製作をはじめ電子工作の最盛期で、電気や電子の分野に興味のある人達による開局が多かったが、近年は身の回りの機器のデジタル化や精密化のため手を入れる隙がなくなって縁遠くなってしまったり、かつて熱中した人達も年代的に落ち着いてしまっていたり。
   他にも見知らぬ人と繋がる面白さがあり、アイ・ボールと言って声だけでなく待ち合わせをして実際に相手と会う面白さ、通信者が増えて地域ごとに無線クラブができたり、そうした人達で集まってバーベキュー等をしたりと、これはSNS時代には却って理解しがたい繋がりの面白さだったのかもしれない。 いつ誰と繋がるかは偶発的な要素も多分にあって、全く別々の事をしている人同士が同じ時間を共有する不思議さ面白さや、声が聞こえてくる都度、作ったラジオの電源を入れて初めてイヤフォンからの音を聴くようなプチ感動がある。 無線というある意味特殊な環境が共通点となってか、様々な出会いがあったがそこには犯罪に繋がるような雰囲気を感じたことはなかった。

   いまは無線局免許も無いし(無線業務従事者免許のみ保有)、修理から帰ってきたこの小さなトランシーバーで航空無線とラジオ放送を聴くくらい。 ラジオは、AM放送用のバー・アンテナ内蔵されていないしFM放送もしっかりアンテナを立てないとよく聞こえないけど、AFNだけはなぜかよく入る