DISCO EDDIE'Sの、お店正面、向かって右側のペイント。 先日、お店の前に貼ってあったポスターに「FINARE」と書かれていた。 近ごろ閉店してしまうお店が多く、特に長い年月を重ねてきた、その街の純正部品というか、あまりに当たり前に存在していたというか、なくてはならない風景だったお店がなくなってしまって空虚感に駆られることが時折あった。 そういた今だからか、「FINARE」の文字には一瞬、背筋に寒いものが地中深くに向かって流れて行った感じがした。
ベトナム戦争という時代を実感としてはほぼ知らない、というか無縁に過ごしてきたため、こうした米軍基地の近隣に流れる空気がどのようだったか、想像はするがおそらく遠く及んでいない。 1976年というと幼稚園生だったか。 その頃は、ベトナム戦争の影響なのか、戦後の記憶もまだまだ残る時代だったのか、テレビでは太平洋戦争の映像をよく目にしていた記憶。 それを一緒に観ていた祖父母もそうした戦争の記憶を話してくれ、戦争といえば、ほぼイコール「第二次世界大戦」だった。
ここEDDIE'Sは、ベトナム帰りの兵士を多数受け止めた「福生」のお店の一つ。 '70年代と言えば黒人差別も激しく、白人兵士との喧嘩も多かったという。 マイノリティーとして居場所の少ない黒人兵士を、発散する場を提供しなければという思いもありEDDIEさんはお店に、このディスコに招き入れたのだという。 煌びやかなアメリカ文化の「B面」の1つが「福生」のように感じる。 特にこのエリアは「赤線地区」と呼ばれ、いまでこそ小さな炎で、大風もなく淡々とサブカルが燃え、風俗店らしき場所も細々と存在している程度なのだけど、ふた昔、三昔も前はだいぶ賑やかだったとのこと。
時代を作ってきた街の姿に敬意と、時に畏怖の思いを抱きつつ。 ...そうした1つのEDDIE'S、無くなっちゃいそうだなぁ。