2025-12-22

朝に

   朝イチで薬局へ行って口唇ヘルペスの薬をもらってきた。 インフルでかなり弱ったようで、口の周りにこれ迄にないくらいの広がり。 薬は5日分。 少しラクになるといいけど。 冷たくやや強い北風がコートの胸元から入ってきて寒く、日中の室内もさほど暖かくならず、なんだか風邪症状がぶり返しそうなイヤな予感。 一旦「明け」てからは念のため市販の風邪薬を継続して服用中。 ...念のためというよりは頭痛や筋肉の凝りがあるので風邪薬で解すとか、悪寒の一歩手前っぽい雰囲気に警戒してという感じに。 今日あたりからはすっかり冬といった低めの気温が続くようなのでしっかり用心しておかないと。

2025-12-21

STANDARD C-510

   片づけていたら出てきた無線機。 これはそれほど使用していないと思う。 C-501も持っていたと思うが、そちらも片付けが進むうちに出てくるのか? このC-510を見ていて、いつか最初に手にした無線機、STANDARD C-111 pokekuroも写真撮ろうかな、と。 ある場所は分かっているけどちょっと階層の深い場所なのでまたあらためて。 C-111は自転車に積んでよく運用していた。 荷台に5/8λのアンテナ付けてみたり、バッテリーに大き目のYuasaの鉛蓄電池を利用してみたり。 144MHz帯の機械で、当時は警察も消防も全てアナログ波だったのでそれらもよく聞いた。 その数年の後には原田知世主演の映画「私をスキーに連れてって」のなかで使われていたトランシーバーが受け、映画で使われた144MHz帯のトランシーバーがバカ売れ。 お隣の430MHzも近い状況で、本来は通信に免許証が必要なアマチュア無線なのだけど、空きチャンネルが無くなるくらいに意味不明な通信でパンパンで無秩序状態になっていた。 免許を取って運用する人も増え、「JA1○○○」といったここに割り当てられるコール・サインも不足して「7AK○○○」というような変則モノもあった。 無意味に膨らんだ無線人口は、そのうちに何があったわけでもなくしぼんだ。 やがて携帯電話が普及し、遠くへ電波を飛ばす、離れた場所でやりとりするという無線の存在感が薄らいでいった。 たまには電波出してみたいなぁとは思うけれど、ゆっくり話し込む時間も無いし、当時よくあった通勤の間に通信するというほどの通勤距離でもないし、昨夏だったか、近所の電設屋さんから「たまには出てよ」と軽くお誘いもあったし、流してしまった「局免」だけでも再申請して取得しておこうかな。 (従事者免許証と無線局免許状の2つがアマチュア通信には必要で、前者は基本的な知識を有している証で一生有効な免許証、後者は無線局1局(1個人)に割り当てられるもので、呼び出し符号(コール・サイン)、ラジオでは「JOAK-FM」とか「KXYQ」とかその局を認識する符号があるように、双方向の無線通信では互いに「局」を呼び合う(認識しあう)時に用いられるそれら符号と、その人が運用する機材構成が登録されて5年更新で免許される)

2025-12-20

明け

   ようやくスッキリ。 まだ鼻声だし、鼻の奥に風邪の匂いするし、時々ゴホゴホするし。 でもようやく抜け出した感じがした。 頭痛もなくなっていて、ふらつきもほぼ感じない。
   昨夜の脱水症状の時のような症状は、大体がスタミナ切れの時のもの。 ここの処は食事の量を少しずつ増やしてはいたが、夕飯の量を殊に少し多めにし、就寝前に胃薬で消化を促進し、体が栄養をなるべく多く吸収できるようにしてみたつもり。 その他に昨日記述した薬の数々と。 その甲斐あってか昨夜の後半はどうやら深く眠れたようで、多少だが体力の回復に至った模様。 秋頃から業務だったり、網膜剥離の手術だったり、今年はグッタリする要素が盛りだくさんだったのもあってか、思っていたより疲労の度合いが強かったっぽい。 派手に口唇ヘルペスが出てきているのを見ても、どれだけ免疫力が落ちていたのかと感心するくらい。 皮膚科へ行って処方箋を貰ってきたけど薬がまだ入手できず。 こちらは明日のお楽しみとして、とりあえず今日でひと安心かも。

2025-12-19

Flu 7日目

   罹患7日目、普通なら風邪っぽさはすっかり抜けている頃なのだろうけど、なんだかまだまだくすぶっている感じがする。 そこそこゲホゲホするし。 ついでに出てきた口唇ヘルペスがいつになく大きく広がっていてこれまた気分が悪い...。 という中、さすがに色々とストックが切れてきたので午前中は買物へ出かけた。

   午後になって体のだるさが増してきて、着こんでも少し寒い。 それも3-4時間で一旦収まったので、明日の出勤に向けて入浴を試みた。 やや低めの温度で湯を張った。 ゴシゴシ洗ってどぽん。 軽く汗をかき始めるちょっと手前あたりで軽くめまいを覚えて入浴は切り上げた。 その後、服を着終えるまでの10-15分が異様にしんどかった。 息が上がってしまった感じ。 ぜぇぜぇではなく、へー、へーってな感じですっかりヘタっている感じで、その昔にすこぶる体調の悪い時に脱水症状手前とかでなっていた手足の痺れと全身の脱力感、立っているだけで辛い感じだった。 ヒーターで温まりながら水分を拭き取って、でもサラサラしたヘンな汗が出ていてなかなか乾かず下着を着るところまですらままならず。 それでもなんとか体が冷えてしまう前に着終えた。

   暫くして床に入るも、午後からの妙な肩こりと痛みが強くなってきて、またこれが誘発したかのような強い頭痛も。 この症状、いわゆる鎮痛剤では効かず、心臓から気を回さないと解れない。 夕方・夜と救心を2カプセル。 炙甘草湯・八味地黄丸も飲んで、咳・痰の薬を念入りに飲んでとにかく眠りに。 体を温めるのに生姜湯とかあっても良かったかも。 3:00頃迄は何度かトイレに起きたが、その後はどうやら眠れた感じ。

2025-12-18

Flu 6日目

   6日目になりようやく体温が安定してきた。 咳の回数は減ったもののまだ咳き込むことも多い。 「治った感じ」まであと一、二歩?    なぜか今日も午後になって若干の体温上昇。 昨日もそうだった記憶なのだけど、朝には平熱になっていてホッとしていると午後になって具合が悪くなってくる。 全体的には良くなっている感じはあるものの、やっぱり「治った感じ」までは程遠い気がしてくる。

   夜には普通に病人に逆戻り。 やー、どーなんてんだこれ? と思いながら仕方なく床ではYoutubeでラジオ・ドラマや朗読ものを見つけて聴きながら。 のどがさほど痛くないのは救いかな。

2025-12-17

Flu 5日目

   今朝の空はすっきりと澄んで、蒼とオレンジの冬らしい彩りにタングステン色の細い月。 寒そうな景色だけれど氷が張るほどでもなく。
   インフル5日目になってようやく熱が下がってきた。 一昨日・昨日も朝の体温は平熱程度だったが昼頃には38.4℃、38.9℃と上昇し、ほぼ治ったのではないかと思わせておいて逆戻り、夜もだるいやら寒いやら暑いやらと不快さもあまり変わらなかった。 それでも昨日の夜にふと「あれ? 喉の傷みがほとんどない」と思った。 一応は回復してきているっぽい。 でも咳の回数は増えた気がする。 という状態で、今日は午前中に再び病院へ。 追加で薬を処方してもらった。 仕事も明日からの予定だったがあと2日休日を延長。 明日の収録は立ち合いたかったのだけど仕方なく。

2025-12-16

Flu 4日目

   ようやく熱が下がってきたけれど悪寒はあるし、ゲホゲホする回数は増えているしで昨日までの辛さを思うとだいぶ状態は良いのだけど、病院でもらった説明書き通り「5日の自宅待機」で事足りる気がしない。

2025-12-15

Flu 3日目

   昨日よりは少しマシ? なような、そうでもないような。 全体的にはほぼ良くなっている実感ナシ。 のどの痛みもだいぶ強いし、食欲もあるのか無いのか食事はゆっくりで時間がかかる。 そしてウィルスに対抗するためにエネルギーが要るのかお腹が空くのが少し早い気がする。
   インフルって風邪のちょっと強いやつ程度に思っていて、もしかかったら「あんな感じだだろう」「こんな感じだろう」と想像したことはあったけど、その辺りを軽く超えてキツい。 来年は予防接種しよう。

2025-12-14

Flu 2日目

   ちょと寒い曇り空。 窓を開けるとその寒さよりもずっと寒く感じている気がする。 熱もあるから当然そうなるのだけど、少し朦朧とした意識とふらふらする体と、諸々どんどん辛どくなってゆく。

2025-12-13

Flu 1日目

   昨夜に発熱。 今日は朝から発熱外来へ行き検査。 結果はインフルA型だそう。
   「すぐに吸引剤を使って、その後はタミフルを」とのことだった。 吸引剤は非常に細かな粉末で、最初は思わずゲホゲホしてしまったが2回目以降(全4回)は順調に。 それにしても朝に病院に着いた頃から急速に体がダルくなってゆく変化、体内でウィルスが増殖している感じが不気味。 はやくヨコになりたい。

2025-12-12

こうよう

   昨夜半から強い北風が吹き、きょう日中も気温9℃ほどと寒いうえに冷たい風に、今朝はイチョウの葉が路肩に軽く山盛りになっていた。 街の真ん中あたりではケヤキの葉がバス停横で20cmほどの高さで風に渦巻き溜まりつつあった。 頭の中では「葉は散ってしまった」と思い込んでいたところに、路地を曲がると真っ赤なモミジ。 まだこういう景色が残っているのかとやや不思議な感じ。 暦では今日くらいからがクマが冬ごもりする頃なのだそう。 クマ被害、減りますように。

2025-12-11

ジャズ喫茶へ

   少し離れた街のジャズ喫茶、夜はバー営業をしているお店。 時折足を運んでいたジャズ喫茶の向かいにあるお店で、どちらも同じく2階に客席があり窓越しにうっすら見える店内がいつも少し気になっていた。 きょうはついに「そっち」へ。 「いつか」と思っていた「きょう」の記念写真的な店内の風景。 店内は、「外」から見て想像していたのとは全く違った景色だった。 そしてこの2店、家具や色調や店員さんまで雰囲気がよく似ていてパラレル・ワールドに迷い込んでいるような感覚も楽しめた。 曲はリクエストも出来るというので、次に行ったらThelonious MonkかMcCoy Tynerをリクエストしてみよう。 アンプはプリもパワーもMcIntosh、スピーカーはBOSEの、あれは901? 301? それとももっと旧い別の型番?。 音源は何だったのか? 唯一の再生装置に見えたMarantzのCDプレーヤーには電源が入っていなかった。 LPレコードのジャケットが店内に飾られていたけれどレコード・プレーヤーは見当たらず。

2025-12-10

Revisited

   今年の1月だったか、アメリカン・ハウスを撮りに東福生へ向かった。 その途中でLeica SL2-Sが故障、電源が入らずウンともスンとも言わなくなった。 背面液晶画面が熱暴走のような妙な表示になって操作を受け付けなくなるという症状は以前からあり、常にイヤな予感を抱えつつだったがついに。 その日はiPhoneで撮ってきたのだけど、あれ以来、一眼で向き合ったことがなかったことが気になっていて、きょう久々に足を運んだ。
   空家になってから1年ほどになるだろうか、でも管理はされているようでどことなく人の「気」はある。 物干し台に張られたロープにはピンチ(洗濯バサミ)と、それらが朽ちて残った金属のスプリング部分が残っていて、残っている生活の匂いとしてはそれくらい。 その昔、ハワイへの出張の際に部屋に洗濯物を干すために洗濯ロープと木製の洗濯バサミを買ってきた時のことを思い出しつつ、木製ピンチにはアメリカの風景を重ねて部屋でひとりにんまり洗濯ものを挟んで満足感に浸ったのも思い出しつつ、どこかの誰かがこの「ハウス」で生活していた時代に時間に敬意を表しながらズーム・リングを回し。
   徐々に残り少なくなってきたこの街の「アメリカ臭」に名残惜しさと重ねられた歳月を思い。

   最近気になる曲、Bob DylanのBlowin' in the Wind。 2枚目のアルバムに収録されているらしい。 ふぅーんと思いながら、タイトルに馴染みのあるLike a Rolling Stoneのレコード・ジャケットに目を遣ると「HIGHWAY 61 REVISITED」の文字が。 何気なく「US-61」を検索するとミズーリ州のとある場所にピンが打たれた。 これがUS-61の中間地点なのか何なのかさっぱり不明で、ズーム・アウトするとSt. Louisの文字。 ピンの位置はSt. Louisから20マイルほど南にあった。 今度はズーム・アップすると「Blues Highway」の文字。 幹線道路にはよくその地にちなんだ名称が付けられるのだけど、Bob Dylanの出生地を象徴するかのようなこの命名にはちょい感動。 Bob Dylanの音楽はよくRockとかFolkと言われるので、Bluesというともうちょっと南のイメージなのかもしれないけれど。 それにしてもカッコ良すぎる命名。 Like a Rolling Stoneは6枚目のアルバムに収録だそう。
   このタイトルに馴染みがあるのは、1987年頃に発行された景山民生の小説「転がる石のように」を発行当時に読んで微妙な共感を思ったところから。 感じた「微妙」な感覚は年齢差が故か。
   ストーリーは、Googleの要約(少し加筆あり)によると「1960年代最後の年、日本人の若者である上山哲夫が、アコースティック・ギター1本を持ってアメリカへ旅立つところから始まる。子供の頃、彼は米軍ベース・キャンプの金網の向こうに『アメリカ』という輝かしい国を見て育った。心の中に居座り、求め続けていたその風景 ---『本当のアメリカ』を、ハワイでの一時滞在を経てロサンゼルスへ、そして大陸を横断して南部に立ち寄りニューヨークへと旅を続ける。」 旅の最終地はたしかウッドストック。 ベトナム戦争を体験したアメリカで大きくうねる時流の真っ只中での、哲夫の葛藤と自身のホーム・カミングの物語。
   1990年頃発行の石川好の小説「ストロベリー・ロード」にはアメリカについて「人を呼び集め、返さない国」と表現されている。 「自由、平等、あり得ない言葉が燦然と輝いて響いた国、それがアメリカ」(一部改変)と、その求心力を語っている。 景山民生、石川好、共に1947年生まれ。 幼少期・青年期に戦後の強大なアメリカを体感した世代。

2025-12-09

冷たい風の朝

   昨日の18℃から今日は12℃へ。 最低気温6℃と関東平野の12月っぽさの濃くなるのを思う気温。 今日も晴れるはずだったのだけど日中の殆どが曇天となった。 晴れるつもりでいて、今日はあの場所を撮ってみようと思い描いていたところが全滅。 寒さからか体調も少し優れずあまり撮り歩けず。 曇りなりに撮ってはみたものの結局は朝に撮った空をセレクト。
   昨日に続いて気になったフィルターがMARUMIの「EXUS レンズプロテクト MarkII」。 透過率0.2%を謳う高性能フィルターで、Kenko ZXIIと同じくガラスの平滑性も優れ、フィルターあり・なしでの画質の差もゼロではないが区別つかないくらいの僅差。 長いことフィルターの性能にはほぼ頓着して来ず、数年前にこのフィルターを使って驚いたのは、透明度もさることながら「防汚」機能。 指先で触れてしまったときの手脂も他の汚れも「あれ? 付いてない」と思うような効果。 ZXIIも「防汚」を謳っていて、この両者、画質も使い勝手もかなり似通った高性能ぶり。 近年使用していたフィルターは見た目でB+Wのものを使ってみたりしていたけれど、つい最近Carl Zeiss T* Distagon 1.4/35mm ZMにはZXIIへと新調してみたり。 効果としてはすこーしだけ画がスッキリしたような...。 次は17年前だったかVoigtlander Color-Skopar 35mm F2.5 Type-Cに装着したLeica のUV/IRフィルター、さすがに細かなキズが付いている気がするのとUV/IRカットの必要が無くなったので高性能の透明フィルターに交換しようと思っていたところ...だけど、Sigma 20-200mm用の新調が先かな。

2025-12-08

繰り返し

   気温は18℃台まで上昇。 冷たい風に一旦は手袋をしたのだけど、30分も歩くと薄手のコートも手袋もバック・パックに。 今日はココへ来ると決めていたのでまっすぐに。 そして期待通りの晴れ。 なかなか「これでよし」と思えず、今回も「また来よう」と思った。
   ここ最近、このレンズで撮っていて微妙にアンバーっぽさが乗ってそれがワルさしている感じがしてきた。 たぶんUVフィルターの僅かな褐色を拾ってカラー・バランスに作用。 KenkoのZXII(ゼクロス・ツー)あたりの透明フィルターに変えてみようかな。 72mmとなるとやや高価ではあるけれど。 ZX IIは確か透過率が0.1%だったか、ガラス面の平滑性も極めて高く、以前に試したときの撮影画像はフィルター無しとほぼ変わらず、これならフィルターによる画質の劣化は気にしなくてよさそうだと思った。 そう言えば72mmのPLフィルターを持っていたと思ったけれど、どこに仕舞ったかな。

2025-12-07

何度も

   日中、外出できる範囲はそれほど広くなく、街並みを撮るなら同じ場所、同じ角度、同じ画角、同じような光線具合で撮ると年数が経ったときによい記録になるとは思いつつ。 なかなかそこまで出来る条件もなく、とはいえ気になる場所は何度となく撮ってみたくなり、この場所も、そのほか何か所か「よく撮る場所」があったり。 この場所は、50年ほど前にはカーブではなく踏切がありかつての本通りだったらしい。 今は100mほど東側にアンダー・パスが作られてそちらがメインの通りに。 気になる場所以外、普段なら通り過ぎているような場所もなるべく立ち止まって撮ってみたりもしているのだけど、なかなか絵になるわけでもなく、それなりにストーリーを考えていないとホントにただ撮っているだけの画になってしまうようにも思う。 あらためて立ち止まる場所、よく撮る場所も、何度も撮ってみようかと。

2025-12-06

アジサイ

   暖かさに花を付けていたアサガオも、霜が降りたのか場所によっては葉が黒く萎れているのを見かけるようになった。 よく使う駐車場の脇のアサガオはまだ花も蕾もあり、霜がなければあと4-5日は咲き続けそうな雰囲気。 オシロイバナも咲いているし、それでも今日は今期で最も寒い日だったように感じた。 予報では今日・明日あたりは気温高めとのことだったけれど、風はすこぶる冷たく思えた。 そう言えば明日は「大雪」かも。 その初侯は「熊蟄穴(くまあなにちっす) 熊が冬眠のために穴に篭る」だそう。 今年は殊にヒトがクマに襲われるニュースが多かったが、もう山に籠ってほしいところ。
   異常気象と言われる前は、アジサイの花は咲き終えた後には散っていたように思う。 近年は花の房のままドライ・フラワーのようになっているけれど、少し違和感を思う。

2025-12-05

福生日和

   快晴。 湿気のない空気にストレートな日射し。
   ふらっと「ブラジル料理レストラン EL's」が新しく国道16号を挟んで米軍基地のメイン・ゲートの目の前にオープンしたお店、「EL's BASE SIDE」へ。 メニューは福生Akasen店と同じくタコス。 ポーク・チキン・ビーフの「MIX」に、辛くない「MILD」、それと「no Cilantro」、で「To Go」。 トルティーアと薄いオレンジ色のオリジナル・ソース付き。 それと店内飲食はブッフェ形式でやはりポーク・チキン・ビーフの料理にビーフ・スープ。 ブラジル料理というよりはやっぱりアジアン・テイスト。 2人顔見知りの店員さんとママさん。 ちょっとだけ会話。 お客は基地からの方々が9割だった。 国道16号の乾いた空気と行き交う乗用車に大きなトラックに。

2025-12-04

だいぶ冷えた日

   今期でいちばん寒かった。 富士山は気が付いたら先週くらいには真っ白になってた。 北風の日もちらほらありつつも気温はそれほど低くない日が続いていたので少し気を抜いていた。 そこに急に冬と化した天気に背中の筋肉が縮こまり。 朝は温度計が4℃を指していて、一瞬だけ視界に入った畑のお茶の葉には霜が降りていたように見えた。
   12月になって街の中には様々に電飾。 一応、自治体としては「イルミネーション」と呼んでいるのだけど..。 高度の低い午後の陽の光に飾り付けが光って見えて、歩道の反射も冬らしくやや弱く、でもわりと艶やかに照り返し。 なんかいい感じと撮り始め、歩道の反射に期待して人の波のなるべく少ない機を狙い。 そうこうしているうちに気が付いたら陰に入ってしまっていた。 ぽつんと突っ立ってちょっと粘ってたけど、結局は始めの頃の数枚が「生き」。

2025-12-03

気になった人形

   ふと目に入った人形。 この手の人形、近年はアメリカのアンティーク・ショップでも手に入らないだろうなぁと思いながら、幾つか思い出したことが。 1つは90年代のアメリカの学生寮での1コマ。 この人形のような黒人の絵が描かれた小さなハンド・タオル、そこには「何かお手伝いすることはありませんか?」と書かれていて、それに「イヤです!」と強く反応した白人女性の姿。 差別ではなく、差別の色濃かった歴史に対する嫌悪感といった感情を見たように思えた。
   もう1つ思い浮かんだのはPUBLIC ENEMYの「BURN HOLLYWOOD BURN」。 そのミュージック・ビデオに描かれた「献身的黒人」の姿。
   あの時代はまだまだギャング抗争が話題に上る頃だったかな。 こうした話は歴史として捉えているので特に意見はないけれど。 話は違うけど写真の構図、ちょっと中途半端だなぁ..。 ラップ3曲ほどYoutubeへのリンクを以下に:

   Burn Hollywood Burn / Public Enemy
   Colors / Ice-T
   Straight Outta Compton / N.W.A.

2025-12-02

弱い南風の午後

   日暮れの直後の空気の匂いに微かに春を感じるような、やや暖かな日。 日中はコート無しでも寒くなかった。 朝は晴れていたので、外出できる昼過ぎには陽光のなか写真が撮れると楽しみにしていたところが曇天。 公園へ行ってみると、モミジは程よく赤くなっていたけれど他の木々の葉はだいぶ落ちていた。 街路樹のケヤキも葉は茶色くて、もうじき大量に降ってきそう。 枝の間にヒヨドリ。 先日はムクドリの一団も見たし、これらの鳥は渡り鳥だったけ? と認識もおぼろげなまま季節の移ろいを感じる。 それにしても「餃子」と「ニューヨーク」ってそんな接点なのだろう?