2025-11-21

乾く空気

   大分では一昨日だったか港町で大火事。 湿度計が30%前後を指すようになってどれくらい経っただろう。 もう2週間? 3週間? 空気が澄んでいるというより湿気が無くて素通しという感じ。 そろそろ朝に、上半分が浮いているような月の姿が見られる頃だろうか。 明日が「小雪」? 寒くはなって来たけれど、雪が降るほどではないかな。 でも一昨日だったか、青森の酸ヶ湯では一晩で85cmだったか、ここ20年で最大の積雪と報道されていた。

2025-11-20

銭湯のあたり

   今朝は寒かった。 だいぶ冬らしくなってきた気はするけれど、まだそこまでという感もある。 いちばん寒いのはやはり「大寒」の頃だろうか。 昨年の関東は雪らしい雪は降らなかった記憶。 今はまだケヤキの葉もそれほど落ちず、アメリカ楓の葉も黄色く紅葉していてまだ秋っぽい風景も残る。
   昨日だったかに届いたメールに、睡蓮木が花を付けたと言う。 名の通り睡蓮のような花をつける日本っぽいこの木は南アフリカ原産。 気候的には日本の冬は厳しいだろうけど、昨今の暖かな冬の影響か。 本来の開花期は5-10月というから、むしろ今どきの日本の夏に耐えた方がスゴイ事なのかも。

2025-11-19

ランチのピークも過ぎ

   お店の前は何度も通っていたタイ料理店。 つい最近は、い店の前に置かれた鉢植えを見ていたらマスターから「これ○○、インドによく生えてる木」(木の名前は失念)と話しかけられた。 いつか行ってみようと思っていたところ、今日は網膜剥離の術後の経過観察での通院と、炙甘草湯と八味地黄丸を購入するためクリニックへの通院とが重なってちょうどお昼にタイミングよく立ち寄ることができた。 八味地黄丸は十全大補湯からの変更で、加齢からくる腎経の疲労への対応とのこと。 ただ、あまり強くない胃がそれについて行けるかは今後の経過を見てとのことだった。 さてタイ料理店。 前から興味はありつつどうも足が向かず、GINZA5の地下の「タイ屋台料理 ティーヌン」に次いで2軒目で2回目。 パクチーはどうもドクダミの匂いを想起させるためか苦手で、折角のタイ料理だけど「パクチー抜きで」と注文。 料理は「タイの料理人が作る本格タイ料理」との触れ込み通りしっかりアジアンな風味で食が進んだ。 お昼の時間を少し過ぎ、来店していた客もパラパラと帰り始めてお店の空気は更にゆったりと。 ここは以前は「旅人食堂」という名前だったが今の名称は「アヨタヤ」と別のお店とのこと。 主にホール担当の日本人のママさんは、タイ人と思しき厨房のマスターと料理人と多くをタイ語でやり取りし、これがなんだか小気味良く心地よい。 会計を終えると「カップンカー」と合掌して送ってくれた。

2025-11-18

Cafe跡

   ここ何だったっけ? その左隣って何だったっけ? と、何年振りかに足を運んだエリアでしばし記憶を手繰り寄せるために立ち止まった。 結局、後でネット検索をすることに。 ココはCafeだったらしい。 ...そうだったっけ? その記憶すら曖昧なのは、目にしてきたはずの馴染みの街並から自身がズーム・アウトされて行くような、取り残されて街が遠くどこかへ行ってしまいそうな何とも残念な心持ち。 Cafeの名前は「WLF」で、ウルフなどの愛称があったよう。 W.L.F.とは「We Love Fussa」の略なんだそう。 このスピーカーにはつい3年ほど前までサラン・ネットも付いていた
   Fussaと言えば、先達てYoutubeで大瀧詠一関連の動画を観た。 大瀧詠一はかつて福生(と言われているが実際は隣の瑞穂町?)に約40年も住んでいたのだという。 米軍基地近くの「米軍ハウス」を、自宅やスタジオとして使用していたとのことで、動画はその「聖地巡礼」。 動画の最後は大瀧詠一の墓参だった。 福生の米軍ハウスに住んでいたと言われているのは、他に忌野清志郎、村上龍、布袋寅泰、桑田佳祐、山田詠美も? 細野晴臣は狭山市? --- らしい。 「リリ壁」と言われたリリー・フランキー作と言われる壁画も建物の取り壊しと共に無くなってしまったし、年々そうした「福生感」は薄らいでいる。

2025-11-17

ケヤキの紅葉

   日中20℃超え。 けっこう暖か。 つい最近まで緑色をしていたと思った駅前の通りのケヤキは、今日はすっかり茶色くなっていた。 葉が散って丸坊主になるまでは、もう1週間もないかも。

   先月13日で閉館してしまった清里の写真美術館「K*MoPA」がfacebookに何枚かの写真を上げていた。 エントランス、裏庭、音楽堂へ続く通路と、黄色と一部は赤く色付いた紅葉の風景で、新たな事務所への一時移転の過程にふと足を止めて足跡を見つめるような数枚の写真、それは初めてK*MoPAの方々とお会いした頃のあれこれを思い出すものでもあった。
   写真を撮るとき、日ごろの中にも「物事には必ず始めと終わりがある」と思うことがしばしばある。 そう思いながらもK*MoPAはいつまでもそこにあって、そこに行けば知った顔があって、自身をちょっと振り返ってみたりという場所で、感覚としては普遍的な存在だった。 30年間をそこで過ごしたスタッフの方々、いまどんな気持ちでいるだろうかと思いを馳せてみたり。 色々な始点と終点の交差している今のK*MoPA、「数年後」と言われる再開の時、初めてその場所を訪れる瞬間をどんな心持ちで迎えるだろうかと、具体的な情報は無くてまだまだ実感を持てないながらに想像を巡らせてみたり。

2025-11-16

夕方の空

   今日も18℃くらいまで暖かくなったっぽい。 朝夕もそれほど風は冷たくなく、そもそも無風に近くて穏やか。 日中から夜にかけてクルマが多いのは、近くの大きな公園の紅葉やそのライト・アップを見に来ているのだろう。 例年12月になると土日には短時間だが花火が打ち上げられたりと、また紅葉と同じくらいかそれ以上に人がやってくる。

2025-11-15

シュロ

   以前は毎年12月頃になると葉っぱ1枚程度を残して刈り込まれてしまうシュロ。 最近は丸坊主になることはなく、冬でもふさふさ。 それにしても丸坊主からしっかり半年もすると葉が元通りくらいに復活。 剪定としてはこれで合っているのかは不明だけど、毎年葉が元に戻るのだからこれはこれで良いのだろう。 今のところそれほど寒くない冬の入口の風景。

2025-11-14

曇りガラス越しの陽光

   夕方まで晴天。 外に出る機会は見いだせず、建物内でコップに挿した花を見つけ、程よく陽の射す窓際へ持って行っての撮影。

   エアコンの設定温度は低目のわりに室内は暑く、少しのぼせたのか昼過ぎから頭痛。 使っていたPCディスプレイが目の疲れるタイプだったのか、天気が崩れる前触れなのか、やはり暑さのせいか、夕方には軽く悪寒もしだし、外が暗くなってゆくのを感じながら「これは眼精疲労だなぁ」と思い。

2025-11-13

紅葉の季節

   日中の外出で、風の冷たさに指先の毛細血管が細くなって行くのがイメージされ、この冬はじめて「手袋しよう」と思った。 暦では今日くらいが「氷が張り始める頃」で、氷こそ張っていなかったものの急に寒くなったように思えた。 11月13日、今日くらいがアメリカ楓の紅葉の中間地点。 アメリカ楓は1本の木に紫・深紅・赤・深緑・緑・黄緑・黄色と全ての紅葉の段階が一度に見られ、樹高も高くけっこう見ごたえがある。 その事を思い描きながら近くの商業施設へ行くと、1本のモミジの木に緑・黄色・赤・紫と様々な色の葉の彩りが。 昨日はそれほど目に入らなかった落ち葉も今日はだいぶ目立った。 桂の葉も半分以上が黄色くなっていて、いつかの「砂糖を焦がしたような香り」を少し感じられたような気がした。 紅葉、1週間くらい楽しめるンだろうか。

2025-11-12

何日ぶりかの日射し

   遠く低空に雲があるのみでほぼ快晴の朝。 その後は高度の低いウロコ雲状の雲やスジ雲が広がって、曇り気味の晴れと言った風の1日だった。 日一日と寒く感じる度合いが強くなっているように思う。 外出時、久しぶりに青空バックで街を撮ったのだけど、その辺りはなぜかピントが来ておらずほぼ全滅。 勢いに任せて撮るとロクな事がないといういい事例。 これまでマニュアル・フォーカスのレンズを多用してきて、ようやく最近オート・フォーカスに慣れて来たンじゃないかとは思う。 AFを使って来なかったかと言うとそうした事もなく、Nikonを使っていた頃はほぼ全てAFだったし、CanonもほぼAF、Leicaも半分以上がAF、SonyはAF率は1割にも満たず1%あったかどうか程度。 もう数世代前のカメラの話になってしまうのだけど、それぞれのAF動作のイメージは、Nikonはシャッター・ボタンを半押しにする都度「ジッ」「ジッ」とモーターの音がして「当たり」を導くのに苦労する印象。 Canonは比較的スコン・スコンと超音波モーターがコ気味良く動いてそこそこ合焦するが肝心なレンズ自体のピント位置がはっきりしない印象。 Leica(SL2-S)は割と外れなく合わせてくれたが動き物が至極苦手な印象。 Sonyはどこに合焦しているのかいまいち掴みどころのない印象。 でもSonyは意外と食いつきは良いかな。 どのメーカーも用途に合わせて設定次第という処はあるけれど。 AF使いこなさないとなぁ。

2025-11-11

北風のすきま

   凪というには時間が早い気もするけれど、すっと風が止んだ。 ほんの少し体温が上がった感のある穏やかなひとときか。 北風が吹くようになって1週間ほど? 明日頃は七十二候で「地始凍」(ちはじめてこおる)と水溜まりや池や水鉢に氷が張り始める頃らしい。 日中の気温は15-17℃くらいか。 何日か後には20℃くらいの日もあるようだけど、三寒四温の逆に三温四寒くらいな感じを繰り返してどんどん冬化していきそう。 つい1週間ほど前の15℃はコートに相当する上着は不要だったけれど、最近の15℃はそれだと寒い。 たぶん北風のせい。 この先は北風や西風が吹いて植物にも動物にも過酷な季節を迎え、今はその前の静けさのような天気。

2025-11-10

商店街

   少し雲に隙間が出来てきて、日射しと言うほどでもなく辺りが明るく。 少し前まで降っていた雨に濡れた道路が程よく光を反射して、空も道路も白とも銀色ともつかない景色に。
   昼頃には西洋画に描かれる大きくちぎれた綿あめのようでいて力強い形の雲が広がり、やがて空は青空に。 雲は小さくなって流れて、太陽光はこの時期らしく案外高度が低く、意外と青っぽくてごく僅か黄色が混じり鋭く照らしてくる。 青空の奥には濃い青灰色の雲もありコントラストも面白く、建物に当たると陰影を際立たせどこを撮っても絵になる気がする。 写真を撮れる状態なら街を歩き回りたい思いで手足がうずうず。

2025-11-09

紅葉の始まり

   ようやく、紅葉? と思える色づきが始まった。 まだ周囲を見渡すとほぼ緑色で、よーく見ると葉に黄色が混じって感じる。 モミジは夏の暑さのせいか紅葉と言うよりは黄変というか薄茶く枯れ始めているような木も目に入る。 このあとは急速に街の中に紅や黄色や茶色が混じっていって、急速に散ってしまいそう。 秋が短かいのか、秋が無いのか。 気が付けばキンモクセイの香りはなくなって、七十二候ではあと1週間で「金盞香」と「スイセンが咲く頃」なのだそう。 今日頃は「山茶始開」と「サザンカが咲く頃」とのことで、歩きながらサザンカを探したけれど見当たらず。

2025-11-08

SMC-TAKUMAR 1.4/50mm

   いわゆる「アトム・レンズ」。 中玉が茶色く変色していて、デジタル・カメラであれば色温度補正である程度は補正されるのだけど、やはり茶色い部分は茶色くて補正されるも変色は均一ではないのでどうもスッキリしない。 紫外線を当てると「茶色」は消えるらしいのだけど、何でも100円ショップで売っているネイル硬化用の紫外線発光器が変色の除去に便利だとか。 それで先日100円ショップを訪れるも見当たらず。 300円ショップとかだとあるのだろうか? そもそも300円ショップって最近聞かないけどあるのだろうか。
   ずっと前に使っていたのはSuper Multi Coated Takumarの55mm F1.8。 その頃も28-70mmと70-200mmは持っていたけど殆どはこのレンズで撮っていた。 55mmって、標準域ではあるけれどやや長め。 今に思えば随分と不便な条件だったのではないかと思うが普通にこれで撮っていた。 何ならこの方が思いの通りに撮れていたような気もする。 そうしたこともあって、Sony FE 55mm F1.8 ZAを買ってみようかと思ったこともあるけれど、Voigtlander Nokton Classic 40mm F1.4 MC VMをAPS-Hサイズのセンサーのカメラで52mmくらいな感じで使ってみようかと思ったこともあるけれど、前者は、それならCarl Zeiss T* Planar F2 50mm ZMか、ZEISS Loxia T* Planar F2 50mmか、だったらCONTAX Carl Zeiss T* Planar 50mm F1.4を持っているからそれでいいかと落ち着き、後者は購入して色々と撮ってみたところ、やはりどうも「長」かった。 以前とは撮るものが違うのか、もっと広角寄りの画角が必要らしい。 という感じで出番の少ないSMC-TAKUMAR 50mm F1.4。 これ、CONTAX Carl ZeissのPlanar 50mm F1.4とレンズ構成が一緒で違いはコーティングくらいと聞いたことがあるが、さすがにそこまで近いという気はせず。 でも、ボケや撮影距離の差による写り方のクセみたいなところはすごく似ているように思うことがある。 色味は全くの別物だけど、なんか妙に馴染む描写の自然さはこの2つ、どことなくだけど似ている、のかなぁ...。

2025-11-07

夜の美術館

   セミナーが終わって写真展へ。 「総合開館30周年記念 作家の現在 これまでとこれから」と「総合開館30周年記念 遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22」の2つ。 新進作家展は2002年にスタートしたという展示で、今年は印象としては大人しい作品が多かったように思った。 極端な言い方だけれども「普通に写真を撮ってきた」という風な感じ。
   そう言えば、この美術館がある「恵比寿ガーデン・プレイス」って、最近外資系に売却したんだったっけ? Bloomburgによると「KKR陣営が優先交渉権を獲得した。売却価格は4000億円超になる見通しで、11月中の合意を目指している。現在も協議中で最終的に契約に至らない可能性も ---」らしい。 ん。 契約には至らない気がする。

2025-11-06

きょうは Oscar Peterson

   蕎麦屋の一角に置かれたレコード・ジャケット。 ここ、3年周期ぐらいで訪れている。 蕎麦を楽しむのも然ることながら店内に流れる音楽との出会いが楽しみになっている。 音楽はジャズのみ。 前回はThelonious Monkで、聴くのは初めてだった。 この話、以前にも書いたナと思いつつ --- 何より惹かれたのはジャケット写真で、粗めの粒子の白黒のそれは、ピアノの演奏中と思われる奏者が目をつむり顔をやや上へ向けている、深夜・静かで叙情的な曲・タバコの煙を思わせるものだった調べたら「楽園への歩み」「カントリー・ドクター」「ミナマタ」を撮ったEugene Smithの写真。 ニューヨークの「LOFT」と呼ばれていたジャズ・ミュージシャンの巣のような、商業地区の小さなビルの一室で撮られたものだった。 「LOFT」での写真撮影もこの時に初めて知った。
   今日のOscar Peterson、興味深い情報が出てくるだろうか。 近く調べてみよう。
   前回、同じようにジャケットを撮ったときはZEISS Loxia T* Distagon 2.8/21mmだったっけ。 端正な写りのレンズだったけど空の色がうまく出せないことが多かった。 その前に来たときは Carl Zeiss T* Biogon 2.8/25mm ZMで、心地よいシャープさと柔らかい色味の楽しいレンズだったっけ。 でも結局「25mm」に馴染めなかったンだった。 「25mm」は、CONTAX Carl Zeiss T* Distagon 2.8/25mm以来2本目で、その時に馴染めなかった「25mm」への再チャレンジだった。 色々と記憶が蘇って来ながら店内をキョロキョロ。
   さて蕎麦を注文しようと「『せいろ』1枚ください」と言ったら、なんと無くなっていた。 なにせ3年周期なのでこうした変化もあり得るかと思いつつ、とりあえずという感じになってしまったがメニューをざっと見て値段の手軽な「ぶっかけ」を注文。
   流れる音楽はごく小さな音で、料理が出てくるまでの時間、出処を探すと棚の下の方にB&Wの小さなスピーカーがあった。 以前はJBLのロゴの付いた大きなエンクロージャーに、奥にウーファーとフル・レンジと思われるユニットが見えるスピーカーと、大きなホーン・ツイーターが2つ上に乗っている、それらが鳴っていたと思う。 真空管「300B」が挿さった手作りっぽいアンプで駆動され、電灯などのON/OFFの都度、大きく「ボコン」や「ブチッ」とノイズが乗る。 きょう見たら機材は大きく変わっていて、メーカーものっぽいシャーシに入ったそれらは多分ノイズとは無縁。 ジャケットや機材に見入っていると、「何かご希望があればおかけしますよ」と店員さん。

2025-11-05

暖かそうな

   一昨日の風の寒さ、どうりで。 11月3日、木枯らし一号が吹いたらしい。 風はあったけれど空気が湿っていて「木枯らし」という雰囲気ではなく、でも今日訪れた商業施設の池には大小様々、黄色にオレンジとやや紅葉した落ち葉がたくさん沈んでいた。 落下した噴水の水に打たれた水面は細かく波打って、池底の水を揺らして枯れ葉の重なりを変えて行く。 早朝は日の出を見たものの、その後は雲が広がって今日も曇り。 フィリピンでは台風25号が上陸、間もなく26号も発生かと言われていて、その影響で太平洋側では曇りやすいという予報。 つい最近まで「24℃夏日に迫る気温」と予報のあった日もあり、ここ数日は関東では日中の気温は15℃ほどの冬空。 フィリピン・ベトナム周辺では台風や熱帯低気圧が猛威をと、ちょっと想像の及ばない気候の入り乱れ。 暖かそうなアイス・クリームのサインを見ながら天気予報の衛星写真を思い浮かべ。

2025-11-04

Capital ”A”

   「今季一番の冷え込み」とのこと。 昨夜は目を覚ました夜中にかなりの冷えを感じ、手探りで膝掛けを手繰り寄せて布団にそれを足した。 昨日は夕方から寒くなり、5階建ての建物の屋上で彗星を撮っていた約40分間のその後、冷えて暫く足が小刻みに震えていた。 期待に反して彗星はうっすらとしか写らなかったけど。
   彗星と言えば、きょう小惑星の話を聞いた。 惑星、衛星、人工衛星の隙間を巧みに進んで太陽系にいるらしい。 WiKi Pediaによると、名前は「3I/ATLAS または C/2025 N1 (ATLAS) 」、正体は「恒星間天体に分類される非周期彗星」とされているもの。 「高速で太陽系内を縦断していくが、地球から約 1.8 au(約2億7000万 km)以内に近づくことはないため、脅威となるような天体ではない[15]。オウムアムア (1I/ʻOumuamua) とボリソフ彗星 (2I/Borisov) に続いて太陽系外からの飛来が確認された観測史上3例目の恒星間天体」とのこと。
   きょうの最高気温は15℃ほどとだいぶ冬の様相に。 4階建てだったかの都営アパートの上階に、ちらっと干し柿が吊るされているのを見た。 近年の関東圏では気温が高く湿度も高めのためか、自然乾燥では干し柿がよく乾かないことがある。 個人的な感覚で、干し柿を食べた翌春は花粉症の症状が軽い気がする。 この冬、どこかスーパーで買ってみようか。

2025-11-03

かろうじて

   話題になっていたレモン彗星。 少し前にはもう1つ、スワン彗星というのも来ていて、f=10mmくらいのレンズであれば1枚の写真に2つの彗星を写し込める可能性があった。 実際には5等級前後と期待されていたほどの明るさにはなっていない模様で、よほど暗い空と明るいレンズが組み合わさらないと難しそう。 それほどの明るさではないもののSNSなどには見事な尾の彗星の写真が多数アップ・ロードされている。 対して今日の撮影ではかろうじて点が見えるくらいの写り。 昨年の紫金山彗星は肉眼でもうっすら見えるくらいまで明るくなり、カメラも手持ちでギリ写せる条件だった。
   今日はほぼ快晴だったけれど湿気や街明かりがあったりで、写りはこのあたりが限度か。 機材はSony a7SII、CONTAX Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/90mm、設定はF2.8、ISO 1250、0.8sec.、高解像度化を行ったRAWから生成したJPG 5枚をスタック。 最近発売されたSigmaの200mm F2とかあるともう少し明瞭にはなるだろうけど。 明るかった彗星は1996年頃の百武や1997年頃のヘール・ボップ、悪天候で見られなかったけれど近年はネオ・ワイズとか。 意外と彗星は多く来ているのだけど、案外 写せない...。 以下、メモ:

1986  ハレー 2021  レナード
1996  百武 2023  ZTF
1997  ヘール・ボップ 2024  ポンス・ブルックス
2002  リニア 2024  紫金山(Tsu-chin-shan)
2003  ニート 2025  アトラス(核消滅)
2007  マックノートックノート 2025  スワン
2011  ラブジョイ(核消滅) 2025  レモン
2013  アイソン(核消滅) 2025  クリステンセン(暗い)
2015  カタリナ 2025  フィエチジョシュ(暗い)
2017  ジョンソン 2026  ショーマス(暗い)
2018  ウィルタネン 2026  PanSTARRS C/2025 R3(暗い)
2020  ネオワイズ 2026  テンペル第2(暗い)

2025-11-02

森の香

   清里写真美術館 K*MoPAからのfacebook/X/Instagramへの投稿に八ヶ岳の風景が語られていた。 「ざざっという風の音、砂糖をこがしたようなカツラの木の甘い香りがただよう ---」。 抜けの良い快晴の碧をバックに紅葉しかけた木々の緑の映える季節。
   30年前、初めて訪れた頃に感じていた空気の香りはちょうどそうした時期のもので、森の描写に様々に記憶が浮かび上がってくる。 30年という歳月を積み重ねた美術館という存在、スタッフの方々。 いまは事務所機能や収蔵作品の移動と同時に来年の「ヤング・ポートフォリオ」に向けた準備と、雪が降り出すだろうこのあと1ヶ月半の間は、何重にも多忙ななかにひときわ濃い時間を過ごされているだろう彼の地に思いを馳せる。

2025-11-01

An Old Apartment

   歩いていたら団地の中へ迷い込み、建て替えの時期なのか生活の気配を感じられない少し古いアパート2棟がぽつりと現れた。 1階に営業している循環器系内科が1軒あるのみで、他にも飲食や雑貨等の店舗があったと思われる処はシャッターが下ろされて久しい雰囲気。 その角に年配の女性が1人いて、目が合うと「ここにあるみかんの木が気になって見に来た」のだという。 センダンの木の根元のやや日陰に立つその木、何でも前に住んでいた人が植え、近年はけっこう実を付けていて甘いとのこと。 住人で少しずつ取っていたようだが、住んでいる人がいなくなったからか、今年はどこからか男性がやってきて自転車のカゴいっぱいに摘んで行ってしまったと言っていた。 ちょうどよい時期を狙っているのはヒトも鳥も似たり寄ったり。 十分に熟すのを待つヒトよりも動物の方がほんの半日か1日ほど早く食べてしまう。 それでも「ヒトの分」は案外残っていたりするのだけど、このみかんも、その奥にあると言っていた、夏には熟した実でよくジャムを作ったという桑の木も、そろそろ建物と共に無くなってしまいそう。