2022-07-28

好天の予感

   朝は爽やかさを感じる青空だったのだけど、すぐに曇って低いクリーム・パン雲がダラっと流れる湿気った夏空に。

   その朝の空、Distagon 35mmで撮ってみると思ったよりも画面の周辺が暗かったが、「シャドウ」と「黒レベル」を持ち上げると、何とも滑らかに連続的に中心から周辺にかけて明度が上がっていった。 ここまで滑らかにグラデーションが描かれるレンズって、そうは無い。 今のところ「写り」はごく普通。 例えば軽く鳥肌が立つような、とか、息を呑むとか、ハッとするとかは殆どない。 ごく「普通」なのだけど、それを支える情報量の豊富さはおそらく桁違いに多い。
   ここ十数年ほど、クセ玉と高性能玉の両方の性質を合わせ持つようなレンズを探してきたけれど、様々なメーカーから様々な商品が発表され続けるも案外そうした都合の良いレンズは少なく、「もうレンズ探しはやめて『普通』に戻ろう」と思ったのは約1年前。 「普通」に使ってきたCarl Zeissの標準ズームもさすがに老朽化を感じ始め、「今どき」のレンズを、中古でよいので手にしてみようと思うこの頃。 そうした中に手にしたこのDistagon 1.4/35mm ZM。 このレンズの「普通」は、普通だけどちょっと普通じゃなかった。 コシナ製のMマウントのツァイス・レンズの、もしかしたらこれが集大成であり最終形のようにも見えてしまうこのレンズ。「もう単焦点 (を入手するのは) はこれで最後でもいいかな」と... や、使ってみたい単焦点はまだ頭に浮かぶのだけど、一方でそう思わされるような「結論」的な1本。 最近は、これまで遠ざけてきたソニー製ZEISSのの、どことなく残念なTeaasrのズームも手にしてみてもいいかとふと思う。 Tessarなのは小型化のためだろうけど、使ううちに「やっぱりSonnarでないとなぁ」と思うとは思うけど。 なんか奇妙な心持ちにさせられるDistagon 35mm。
   ちなみに「普通に戻る」の「戻る」は、例えばSuper-Takumar 55mm F1.8かな。 当時、他にこれと言ってレンズを持っていなかった (他にTamronの28-70と70-210があった) のもあるけれど、この1本は色々とたくさん心地よく撮った。 今どきのレンズって、カメラの性能の進化の為もあるだろうけど、作り手も使い手も考え過ぎるんだろうな。 デジタルの画像は色々といじれちゃうし。 いじっても0-255の範囲でしかないんだけどなぁ。 なんかチマチマ感がまた...。
   少し前に流行った「オールド・レンズ」、これに期待したくなるのは「変化」や「奇異」ではなく、むしろ「撮る」行為に「普通」(「自分らしさ」≒「無心さ」の心地よさとか、「自由に撮る」開放感とか) を求める心理なのかも。